札幌

街のすべてが停電した日から3ヶ月経った

北海道胆振東部地震から3ヶ月経ちました。
2018年を振り返る上で、とても大きな事件だったこの地震について振り返りたいと思います。

はじめに

この記事ははじめてのアドベントカレンダーの7日目です。前日はいづさんのFlickerAPIを使って任意の画像を取得する #2 - いづいづブログでした。

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本エントリでは、いつか公開しようと思って書いていた地震の時のメモをここで放出したいと思います。

9/6

地震発生直後

深夜3時という時間の地震にもかかわらず、地震発生の瞬間は、すすきののスナックで(先輩が)カラオケを熱唱していた

東日本大震災の際も、建物の中で大きな揺れを感じたが、体感的にはそれよりも大きく感じ、おそらく道内で大きな地震が発生したのだと思った。

この時間だったので、携帯の電池が切れており、すぐに情報を確認することができなかった。
揺れている最中も、先輩は歌うのをやめず、最後まで歌いきったりして(しかもその後、自分が歌った)結局、解散まで15分くらいかかった。

もしその建物で火災が起きたりしたら大ピンチだったが、その時は全くそのことに思い至らなかった。
今思えば、正常性バイアスに囚われていたのかもしれない。

とりあえず家路につくことにした。このときはまだ電気が生きていた。

街中の電気が消える

だいたい15:17ごろ、タクシーに乗ってすすきの交差点を過ぎた直後、あたりの電気が急に消える。

運転手さんと一緒にファッ!?ってなった。

どこまで行っても、信号がついておらず「そんなことってある!?」を連呼する。
深夜なので、そこまで車通りがあるわけでもなく、そこそこ普通に運転できていたが、信号が止まり、全ての街灯が消えた街は不気味だった。

家で寝ているはずの家族が怪我してないか心配しつつ、なんとか帰着できた。

いつも枕元に懐中電灯を置いておいたおかげで、なんとか嫁が明かりをともしていた。
長女は目を覚ましたが、次女は寝ていた。長女を安心させて嫁は眠りについた。

自分はMacからの給電でiPhoneを復活させ、情報を収集しようとしたが、
とりあえず胆振が震源らしいという以上のことはわからなかった。

4時を回っていたので、とりあえず寝ることにした。

地震発生後の世界

 

7時半に起きる。眠いがそうも言ってられない。

情報収集と状況の把握をしたい。
とりあえず、断水の可能性を考慮し、家中のペットボトルをかき集めて水を貯める。風呂にも貯めていく。

ここで食料の備蓄がないことに気づく!ピーンチ!!

何の情報もないが、3日もすれば行政から食料の支援等を受けられるのでは?という前提で、
3日分の備蓄の確保することをを考える。

近所にある保育園の様子を見に行く。

子どもを預かってくれて、お昼ご飯ももらえるようなので、とりあえず預かってもらうようにする。

近所のスーパーが外売していたので、そこで食料を確保できた。(カップ麺・バナナ・ごはん)

もともとの食料と合わせて3日分になるかを確認。
いささか怪しいが、3日分に食料を分ける。

ところで、我が家には太陽光発電と蓄電池がある。

家を建てる際に、「札幌ではこれまで一度も停電が起きたことがない」と
言われていたが、オール電化住宅なこともあり、
無駄な投資になることを覚悟しつつ、停電時の非常用電源となるように設置しておいたのだ。

まさか活用の機会があるとは!

非常時の使い方については、よく理解していなかったので、
まず、マニュアルを引っ張り出して設定を確認し、無事に通電できた。

引き続き情報収集に難がある状態だったが、
寝室でホコリを被っていたMDコンポが、ラジオとして使えることを思い立ち、非常用電源と一緒に設置する。

停電時に使えるコンセントが2穴残るという感じで、照明や冷蔵庫などは使えないが、携帯の充電などには困らなかった。

こんな感じで、自宅待機の体制が整っていった。

この頃、断水の情報がデマとして飛んできていた。
が、経営者団体のグループLINE上だったので、
そういう情報源もあるんだなー。と割と鵜呑みにしてしまった。

また、午後になると、それまで繋がっていた携帯が、ネットワークに繋がらなくなる。

停電時なのだからUPS(無停電電源装置)の電力がなくなればそうなるのは当然で、冷静に考えればわかりそうな物を、失念していた。

非常時ってこんなに頭が回らなくなるものなのか!と衝撃だった。

断水しないうちにトイレ・シャワーを使いながら、

特にできることもないので、とりあえず7日〆切の仕事をこなしていく。

9/7

当日に納品約束のあった資料を東京の顧客に送るため、ネットワークが通じてそうな

中心部に移動することにした。

交通事故が怖かったので、車通りの少なさそうな時間帯に早起きして行った。

山の手の一部エリアは復電していて、病院などの近くを優先的に回復させていることを確認した。

使える電力を、どのようにバッファを残しながら必要な地域に分配していくか、
これを必死にやっているほくでんの担当者の姿がイメージでき、感謝しかなかった。

なお、中心部まで行くこともなく、琴似でネットワークの確保ができて、仕事は問題なく遂行できた。

空いているセブンイレブンを見つけて、追加の食料を調達し、とりあえずなんとかなるという気になっていた。

家に戻って、子どもと遊びながらなるべく不安にさせないように努めた。
非常用電源のおかげで、ビデオを見たり、比較的普段どおり過ごせたのは良かった。

一方でこの頃には、行動の早い経営者仲間は、続々支援に動き出していた。
自分は、家族のことしかできなかったので、経営者としては失格だなと思った。

次にこういうことがないことを祈りたいが、もしそんなことがあったときは、貢献できる自分でありたい。

夕方ごろには、続々と電気が復旧したという情報が入るが、自分の家は郊外の住宅街ということもあり、
なかなか復旧しなかった。

結局電気が灯ったのは、この日の23時だった。

家族は眠った後だったが、電気がついたときの安心感はすごかった。

まとめ

今回の地震では、2-3日程度の影響で済み、身の回りには不幸もなく僥倖だったと思う。

日頃の備えの甘さや自分の認識の甘さが露呈した機会であり、今後に活かしたいと思っている。

(なお、現在、非常用の備蓄はほとんどないが。。。)

以上